ところでこの地図は殆ど判らなかったので、NETで探すと比較的詳細な地図が見付かり、これを参考にすることにしました。
ところで鎌倉街道というと、鎌倉から多摩地区辺りを結ぶイメージがあったのですが、下図のように上道、中道、外道とあるようで、この利根町の鎌倉街道は下道に当たるのかもしれませんね。
大平神社の近くのもえぎ野台の某所に車を停めて歩き出しました。
漸く見つけた大平神社、何処か不思議な神社です。
後程、NETで発見した「タヌポンの利根ぽんぽ行」(利根町の寺社仏閣を中心に膨大な情報を纏めています。)の解説によると、
「祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)、配祀は天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)とあります。 地元の言い伝えでは、大平村を開拓した「お大平様」(おだいへいさま)を祀っているといいます。」
とありました。
なかなか立派な宝篋印塔(だと思います)ですね。
もえぎ野台の住宅地を歩いていきます。
泉光寺参道の庚申塔
利根町の古刹の泉光寺、なかなか立派な山門です。
広い境内
これまた立派な本堂です。
境内に大師堂があり(外観撮り忘れ)、その中に「平成31年度四都大師巡拝神霊者先祖代々供養」のパウチされた一枚の紙が奉納されていました。
四都大師は、「2013年8月3日の印西大師その3」で第84番の密蔵院(将監)を訪れた時、四郡大師の第20番の大師堂を見付け調べてみたのですが、殆ど情報がありませんでした。
もう少し調べてみましょう。
もえぎ野台の東端の高台に向かって登って行きます。
当時の姿に近く残されているの鎌倉街道の入り口に到着しました。
鎌倉街道の道標と街道脇の八幡神社の鳥居
八幡神社、巨木に囲まれて石のお社が佇んでいます。
美しい杉林の中に続く街道
一面、杉の木立と羊歯
今度はこれも美しい竹林
十字路になった所に3つの石塔があり、「庚申塔」、「青面金剛王」、「猿田彦大神」とありました。
この3つの石塔の意味を調べてみると、Wikipediaに次のようにありました。
「庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。
庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。 」
十字路を左折して王子神社に寄りました。
竹林に囲まれた王子神社の社殿
王子神社の横から里に下る道
元に十字路に戻ります。
大きな蔓、枯れていますが藤でしょうか?
スダジイの巨木
この坂を下ると、鎌倉街道の古道の終点となりました。
入り口から距離にして700m程ですが、美しい杉林や竹林、古い神社や石塔や巨木が続く、不思議な雰囲気のある印象的な道でした。
根本寺、此処も利根町の古刹です。
そして此処にも四都大師の大師堂がありました。
「四都大師四十三号札所 新築平成八年十月吉日」という木札がありました。
旧家の並ぶ里道を歩いて、もえぎ野台まで戻ります。
少し強い風が水田を渡って吹いています。
本日の歩行軌跡
5.2kmの軽い散歩となりました。
「遊ったり散歩 とね」、他にも面白そうな所や、美味しそうな飲食店や物産館の紹介もあったので、また訪れてみましょう。